今から約450年前、明智光秀によって築かれた坂本城は、その後の歴史の中で「幻の城」として知られるようになりました。
この城は、光秀が本能寺の変で織田信長を討った後、豊臣秀吉によって徹底的に破壊されました。そのため、長い間、坂本城の遺構は地上から消えていました。
しかし、琵琶湖の水位低下により、坂本城の石垣が数十年ぶりに姿を現しました。
また、今年の2月には新しい石垣の発見てれ非常に興味深いものでした。
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発掘された坂本城3の丸の石垣

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坂本城と外堀の想像画
坂本城の歴史を振り返りながら、現代の風景をモノクロのレンズを通して捉えることで、その変遷を感じ取っていただければと思います。
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東南寺(坂本城の2の丸付近)
東南寺は伝教大師最澄が延暦年間(782〜806)に創建した寺で、比叡山の東南に当たる位置にあることから東南寺と言う名前になった。
しかし、元亀の兵火で全焼し、寛永15年(1638)に今津町にあった堂舎を移して今津堂と呼ばれていた。
毎年8月21日~25日迄の5日間『戸津説法』と言う行事が行われます。
これは、伝教大師最澄が両親の追善を行い、民衆に法華経を説法したことに由来すると云われています。説法師は延暦寺の重要な法儀を終了した僧侶があたり、天台宗の僧にとっては天台座主になるために欠かせない通過儀礼となっています。
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東南寺前から2の丸の外堀があったと伝わる場所に向かいます。
したがってこの辺りもまだ当時の2の丸内と思われます。

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坂本城、2の丸の外堀に着きました。
現在「坂本城跡」の石柱があります。

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磨きのかかった石で造られた休憩場所

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手前を左右に横切る道路が2の丸の外堀跡と伝わります。
奥の建物が東南寺になります。

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道端にキバナコスモスが咲いていました。

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外堀付近の現在
2の丸←・道路・→3の丸
本年2月に発掘された3の丸の石垣は写真の右方向になります。
今日はここで南方向に向かいますが、本来の起点は北方向の数百メートル先となります。
 
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更に南に向かいますが、一帯は寺社の多い所で旧家が続きます

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そろそろ2の丸の南の端近くになります。
左の白い塀を超えた辺りに「東南寺川」が流れていますが、2の丸の外堀と繋がっていたようです。


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この様な路地が所々に存在しますが、清潔で裏路地という雰囲気はありません。

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ここまで来ると、2の丸・3の丸から外れて当時の御城下となります。

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この路地も綺麗ですね。
坂本城が廃城され大津城に移築された際に、御城下も共に移されたことで、この辺りは一挙に衰退していき残された一部の農民により、地域を守りながら復興に力を注いだものと考えられます。